機械設計者としてキャリアを積んでいくと、いずれ管理職への打診を受ける場面が訪れることがある。私自身、外部設計者として長く現場に入り込んできた立場からは少し特殊な形ではあったが、あるプロジェクトでチームリーダーとしてメンバーをまとめる役割を任され、設計そのものから一歩離れる経験を初めてしたことがある。図面を描く時間が減っていく中で、どうすれば現場感覚を失わずにいられるか、日々葛藤しながら試行錯誤を重ねてきた、その一部始終の記録を、ここに残しておきたい。
打診を受けたときに感じた戸惑い
その打診があったのは、これまで経験してきた中でも特に規模の大きい、複数の設計者が関わる大型案件の立ち上げ時期だった。私はそれまで、個人として図面を描き、客先と直接やり取りをしながら案件を一つひとつ丁寧に進めるスタイルで20年近くやってきた。ところが今回の案件は規模が大きく、複数の若手設計者を束ねて進行管理を行う役割がどうしても必要になり、これまでの経験年数と実績を買われて、私にその役目が回ってきた。
正直なところ、最初に話を聞いたときは戸惑いのほうが大きかった。自分は設計の実務が好きでこの仕事を続けてきたのであり、管理業務を主とする役割には、これまであまり魅力を感じていなかったからだ。周囲の先輩の中にも、マネジメント側に回った途端に設計の勘が鈍り、いざ現場に戻ろうとしても以前のようには描けなくなってしまったという話をする人が何人かいた。そうした話を耳にしていたこともあり、私はこの打診を引き受けるかどうか、しばらく悩んだ。
外部設計者という立場で20年近くやってきた自分にとって、技術力そのものが自分の市場価値の源泉だという意識も強くあった。もし設計の勘を失ってしまえば、これまで積み上げてきたものが根本から揺らいでしまうのではないかという恐れも、正直なところ心のどこかにあった。一方で、このまま同じスタイルで働き続けることに、漠然とした停滞感を覚えていたのも事実だった。新しい役割への挑戦と、これまで培ったものを失うことへの恐れ、この二つの感情の間で、私はしばらく揺れ動いていた。
最終的に引き受けることを決めたのは、この案件を成功させることが自分自身のキャリアにとっても意味のある経験になると考えたからだった。ただし、引き受けるにあたって私が自分自身に課したのは、「マネジメントに専念するのではなく、設計の現場感覚を意識的に維持し続ける」という方針だった。
打診をしてくれた上司には、その場で正直に自分の迷いを伝えた。設計の実務から完全に離れることには強い抵抗があること、それでもチームをまとめる経験自体には前向きに取り組みたいという気持ちがあることを率直に話した。上司からは「設計を完全に手放す必要はない、むしろ設計がわかるマネージャーだからこそ果たせる役割がある」という言葉をもらい、この一言が私の背中を押してくれた。今振り返っても、この時の対話が、その後の自分のスタンスを決める重要な起点になったと感じている。
実際に始まったマネジメント業務の日々
役割が変わってからの日々は、想像していた以上に忙しかった。若手設計者それぞれの進捗確認、客先との窓口調整、社内向けの報告資料の作成など、これまで経験したことのない種類の業務に多くの時間を取られるようになった。特に、複数のメンバーが抱える技術的な課題を同時並行で把握し、優先順位をつけて対応していくという作業は、一人で図面を描いていた頃とはまったく異なる種類の負荷があった。
マネジメント業務が始まってから最初の1ヶ月ほどは、正直なところ自分の設計スキルが少しずつ錆びついていくような感覚に襲われた。若手が持ってくる相談に対して、以前であれば即座に「こうすればいい」と答えられていたはずの内容に、一瞬迷いが生じる場面が出てきたのだ。CADの操作自体も、以前より使う頻度が減ったことで、これまで無意識に使えていたショートカットキーをど忘れするようなことも起きた。ほんの数ヶ月前まで当たり前にできていたことが、こんなにもあっさりと崩れていくのかと、我ながら驚かされた。こうした小さな変化の積み重ねが、私に強い危機感を抱かせた。
チームメンバーとの関係づくりにも苦労した。これまでは一設計者として横並びの関係でやり取りしてきた相手が、ある日を境に自分の管理対象になるという変化は、相手にとっても私にとっても、簡単には慣れないものだった。特に、自分より年上のベテラン協力会社の担当者に対して指示を出す立場になったときには、これまでとはまったく違う気の遣い方が必要になった。
進行管理の資料作りにも、当初は想像以上の時間を取られた。それまでは自分の担当分の進捗だけを管理していればよかったが、複数人の作業状況を一元的に把握し、遅れが生じそうな箇所を早期に見つけて手を打つという作業は、慣れるまでかなりの試行錯誤を要した。特に、誰かの遅れが別の誰かの作業に連鎖的に影響するという、個人で設計していた頃には意識する必要のなかった依存関係の把握に苦労したことをよく覚えている。
現場感覚が薄れていくことへの危機感
マネジメント業務が本格化してから3ヶ月ほど経った頃、あるメンバーが持ち込んできた設計上の判断について、私はとっさに明確な回答を出せなかった。特殊な公差設定に関する相談だったが、以前の自分であれば経験則からすぐに判断できていたはずの内容だった。その場では「少し調べてから回答する」と伝えるにとどめ、結局は過去の設計資料をいくつも見返してから、ようやく自信を持って回答することになった。
この出来事は、私にとって大きな警鐘だった。マネジメントに軸足を移したことで、自分の中の設計者としての勘が、思っていた以上のスピードで鈍り始めていることを実感させられたからだ。管理業務のほうが緊急性の高いタスクとして目の前に積み上がっていくため、意識しなければ自然と設計に触れる時間は削られていく。この状態を放置すれば、いずれ自分は「設計のわかるマネージャー」ではなく、「昔は設計をしていたマネージャー」になってしまうという危機感を強く抱いた。
その日の夜、私は自宅で改めてこの3ヶ月間の時間の使い方を振り返ってみた。カレンダーを見返すと、会議や報告書作成に費やした時間が全体の7割近くを占めており、実際に図面や仕様書に向き合った時間はごくわずかしか残っていなかった。数字として可視化してみて初めて、自分がどれだけ設計から遠ざかっていたかを客観的に突きつけられる思いがした。この気づきがなければ、私はおそらくもっと長い期間、危機感を持たないまま過ごしていたかもしれない。
同時に、私はこの経験を通じて、現場感覚を失ったマネージャーがチームに与える悪影響についても考えるようになった。技術的な妥当性を判断できないマネージャーは、メンバーからの信頼を得にくく、また現実的でないスケジュールや仕様を安易に受け入れてしまうリスクもある。私は自分自身が決してそうならないよう、日々の中で意識的な対策を講じ続ける必要があると考えた。
過去に一緒に仕事をしたことのある、設計出身のマネージャーの姿も思い出した。その人は管理職になってからも定期的に自ら検図を行い、若手の相談にも技術的な根拠を持って答えられる人だった。当時の私はその姿を当たり前のように見ていたが、いざ自分が同じ立場に立ってみると、それがどれほど意識的な努力の積み重ねの上に成り立っていたのかを、身をもって理解することになった。特別な才能があったわけではなく、日々の小さな積み重ねの結果だったのだと、今なら実感を持って理解できる。
意識的に現場感覚を維持するために始めたこと
まず取り組んだのは、週に一度、必ず自分の手で簡単な設計作業や検図作業を行う時間を確保することだった。忙しい中でも、この時間だけは他の業務よりも優先順位を上げ、意図的にスケジュールに組み込むようにした。内容は必ずしも大きな設計案件でなくてもよく、若手が作成した図面のチェックや、簡単な治具の検討など、手を動かす機会を絶やさないことを重視した。
この時間を確保するために、私はまず自分のカレンダーにあらかじめ「設計タイム」という予定をブロックで入れてしまうことにした。空いた時間に設計をやろうと考えているだけでは、結局は目の前の緊急タスクに押し流されてしまうことが、最初の3ヶ月の経験からよくわかっていたからだ。あらかじめ予定として確保しておくことで、他の予定を入れようとするメンバーにも「その時間は難しい」と伝えやすくなり、結果として継続しやすい仕組みになった。
次に、若手からの技術相談には、可能な限り自分でも一緒に考える時間を設けるようにした。単に経験則から答えを出すのではなく、なぜその判断が妥当なのかを言葉にして説明することで、自分自身の理解も同時に整理し直す機会にした。この習慣は、結果的に自分の設計知識を再確認し、体系的に整理し直す良いトレーニングにもなった。
言葉にして説明するという作業は、想像していた以上に自分自身のためになった。感覚的にわかっているつもりのことでも、いざ根拠を示しながら説明しようとすると、うまく言葉が出てこない場面が何度もあった。そのたびに、改めて設計資料や規格書を調べ直すことになったのだが、この調べ直す過程こそが、鈍りかけていた設計知識を再び研ぎ澄ます良い機会になっていたのだと、今では思う。
さらに、客先との打ち合わせにも、可能な範囲で自ら同席するようにした。マネジメントの立場になると、現場の生の情報が部下からの報告というフィルターを通して入ってくるようになりがちだが、それでは現場の温度感や細かなニュアンスが伝わりにくい。私は直接客先の声を聞く機会を意図的に残すことで、判断の精度を保つよう努めた。
加えて、技術系の書籍や業界誌に目を通す時間も、意識してスケジュールに組み込むようにした。実務で手を動かす機会が減った分、せめて新しい技術動向や知識のインプットだけは怠らないようにしたいという思いからだった。通勤時間や隙間時間を活用してこうしたインプットを続けることで、実務経験の減少を完全には補えないまでも、少なくとも知識面での劣化は防げていると感じている。
メンバーとの向き合い方で変えたこと
マネジメントの立場になってから、私はメンバーとの接し方についても試行錯誤を重ねた。当初は、自分がすべての技術的判断を最終確認しなければならないという意識が強く、細部にまで口を出しすぎてしまう傾向があった。しかしある時、あるメンバーから「自分の裁量で判断させてもらえないと成長できない」という率直な意見をもらい、私は自分のマネジメントスタイルを見直すきっかけを得た。
それ以降は、重要な判断ポイントについては事前にすり合わせを行いつつ、それ以外の細部についてはメンバーの裁量に委ねる方針に切り替えた。任せる範囲を明確にすることで、メンバー自身の成長機会を確保しながら、私自身もすべてを抱え込まずに済むようになった。この経験は、設計者としてのスキルだけでなく、人を育てるという新しい視点を私にもたらしてくれた。
任せる範囲を広げてからは、メンバーからの相談の質自体も変化していった。以前は「これはどうすればいいですか」という受け身の質問が多かったのに対し、次第に「自分はこう考えているが、この判断で問題ないか」という、自分なりの仮説を持った相談が増えていった。この変化を目の当たりにしたとき、任せることの意味を初めて実感として理解できた気がした。人を育てるということは、答えを与えることではなく、自分で考える力を引き出すことなのだと、この経験を通じて学んだ。
マネジメントを経験して見えた設計者としての新しい価値
マネジメントの役割を1年ほど経験した後、私はこの経験を通じて、設計者としての自分自身の価値を見直す機会を得た。現場で図面を描くだけでなく、案件全体を俯瞰し、複数の視点から最適な判断を下す力は、マネジメントを経験したからこそ養われたものだった。以前は個々の設計判断の正しさにばかり意識が向いていたが、今では案件全体のコスト、納期、品質のバランスを踏まえたうえで設計判断を下せるようになったと感じている。
振り返ってみると、マネジメントの立場を経験する前の自分は、良くも悪くも「自分の担当範囲さえ完璧にこなせばよい」という発想が強かったように思う。ところがチーム全体を見渡す立場を経験したことで、個々の設計判断が、他のメンバーの作業やスケジュール、さらには客先の事業計画にまでどう波及していくのかを、以前よりもはるかに解像度高く想像できるようになった。この視野の広がりは、設計そのものの技術力とは別の意味で、確実に自分の武器になっていると感じている。
こうしたマネジメントの経験は、その後の設計業務にも良い影響を与えている。客先との折衝の場面でも、単に技術的な正しさを主張するだけでなく、相手の立場や事情を踏まえた提案ができるようになった。マネジメントを経験したことは、結果として設計者としての幅を広げてくれたのだと、今では心からそう前向きに捉えている。
具体的には、以前であれば「この仕様が技術的に最適だから」という一点だけで押し通そうとしていた提案の仕方が、今では「コストや納期の制約を踏まえると、この代替案のほうが現実的である」といった、複数の視点を織り交ぜた、より説得力のある提案ができるようになった。客先からも「以前より話が早くなったし、こちらの事情もよく汲んでくれる」という声をかけてもらえることが増え、この変化を自分自身でもはっきりと実感している。技術力だけでなく、案件全体を俯瞰する広い視点を持てるようになったことは、マネジメント経験がもたらしてくれた何より大きな財産だと感じている。
これからキャリアチェンジを考える設計者へ
もし今、同じように設計職からマネジメントへのキャリアチェンジを打診されている人がいるなら、私は「現場感覚を失うことを過度に恐れる必要はないが、意識的に維持する努力は絶対に怠らないでほしい」と伝えたい。マネジメントに専念することと、設計の現場感覚を保ち続けることは、決して両立不可能なものではない。ただし、それは自然に両立するものでもなく、意識的な工夫と時間の確保があって初めて成り立つものだと、私はこの経験を通じて学んだ。
もうひとつ伝えたいのは、迷った時こそ周囲に率直に相談してほしいということだ。私自身、打診を受けた当初は一人で抱え込みがちだったが、上司や同僚に自分の迷いを話したことで、思いがけない視点をもらえることが何度もあった。キャリアの岐路に立ったとき、自分一人の判断だけで決めようとせず、信頼できる人の意見を聞く時間を惜しまないことも、後悔のない選択をするうえで大切な姿勢だと思う。
20年の設計経験を積んだ今だからこそ、マネジメントという新しい役割にも、これまで培った現場感覚を活かせる場面が数多くあることに気づかされた。キャリアの選択肢は一方向だけではなく、設計とマネジメントを行き来しながら、両方の視点を持った人材として成長していく道もあるのだと、今の私は考えている。
外部設計者という立場は、社内でのキャリアパスとは違い、明確な昇進制度が用意されているわけではない。だからこそ、自分自身でキャリアの方向性を考え、必要な経験を能動的に取りにいく姿勢が求められる。今回のマネジメント経験は、自分から望んで得たものではなかったが、結果として自分のキャリアの幅を大きく広げてくれる機会になった。目の前に来た機会を、恐れずに一度は引き受けてみるという姿勢の大切さも、この経験を通じて改めて実感している。



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