図面と部品表さえきちんと残しておけば設計は引き継げると考えていた時期が私にもあった。しかし複数の客先を渡り歩きながら、実際に後任として他人の案件を引き継いだ経験から、図面には書けない「なぜこの形状にしたのか」という背景情報こそが引き継ぎの成否を分けることを痛感した。今回は、私が20年近く続けている設計メモの残し方について紹介する。
図面には書けない情報とは何か
図面という媒体は、最終的に決まった寸法や公差、表面性状を伝えることには非常に優れている。しかし、なぜその寸法に決まったのか、他にどんな案が検討されたのか、どんな制約でその案が採用されたのかといった「意思決定の経緯」は、図面のフォーマット上には書き込む場所がない。注記欄に多少の補足を書くことはできても、検討の全体像を記録するには到底足りない。
私が痛感したのは、他の設計者が担当していた案件を途中から引き継いだときのことだ。図面上は一見シンプルな形状なのに、なぜわざわざ複雑な逃げ形状を追加しているのか理由が分からず、担当者に確認しようにも既に異動していて連絡が取れないという状況に陥った。結局、同じ検討を一からやり直す羽目になり、以前の担当者が既に却下していた案に無駄な時間を費やしてしまった。
このとき最も困ったのは、単に形状の理由が分からないというだけでなく、その形状を安易に変更してよいのかどうかの判断すらできなかったことだ。もしかしたら強度上の理由かもしれないし、干渉回避のためかもしれない、あるいは客先からの個別要望かもしれない。理由が分からない以上、下手に手を加えることもできず、結局は関係者への聞き取りに何日も費やすことになった。図面だけを残すという行為が、後任者にとってどれほど不親切なものかを、身をもって知った出来事だった。
この経験以降、私は「図面は結果であり、過程ではない」という意識を強く持つようになった。過程の情報を残しておかなければ、後任者は毎回ゼロから検討をやり直すことになり、これは組織全体で見れば大きな損失だと考えている。
客先常駐という立場で複数のプロジェクトを渡り歩いてきた私にとって、この問題は他人事ではない。自分自身がいつ別の現場に異動になるか分からない立場だからこそ、自分がいなくなった後でも設計の意図が正しく伝わる仕組みを整えておく必要があると強く感じている。図面という成果物だけを残して去るのは、後任者に対して不親切だというのが、長年この仕事をしてきた末にたどり着いた実感だ。
私が使っている設計メモの形式
私が実践しているのは、案件ごとにテキストベースの設計メモを作成し、検討の節目ごとに追記していくという方法だ。形式は難しいものではなく、日付と検討内容、決定事項、その理由を簡潔に書き残すだけだが、これを継続することで案件終了時には立派な「設計の履歴書」が出来上がる。
メモに書く内容は、寸法や公差の決定理由だけにとどまらない。強度計算で採用した安全率の根拠、材料選定で候補から外した選択肢とその理由、客先とのやり取りで出た要望や制約なども含めている。特に客先要望については、口頭で伝えられたことがそのまま設計に反映されているケースが多く、これを記録しておかないと後任者が「なぜこの仕様なのか」を理解できなくなってしまう。
私は特に、設計変更が発生した際の記録を丁寧に残すよう心がけている。変更履歴という意味では図面のリビジョン管理でも追えるが、そこに記載できるのは「何を変更したか」であって「なぜ変更したか」までは書ききれないことが多い。設計メモには変更の引き金となった出来事、たとえば「量産初期に不具合が発生し、対策として形状を変更した」といった因果関係まで含めて記録するようにしている。この因果関係が分かっていれば、後任者は同じ不具合を再発させるリスクを避けられる。
私はこのメモをCADデータや図面と同じフォルダ階層に保存し、ファイル名の先頭に案件名を付けて誰でも見つけられるようにしている。特別なツールを使う必要はなく、テキストファイルで十分だというのが私の考えだ。凝ったフォーマットを作ろうとすると、かえって続かなくなる。
以前、専用の管理ツールを使ってメモを残そうとしたことがあるが、入力の手間が多く、結局は使わなくなってしまった経験がある。それ以来、私は「誰でもすぐに開けて、すぐに書き足せること」を最優先にしており、道具立てにこだわらないようにしている。日付の記載も西暦と月日を数字で並べるだけの簡単な形式にし、検索や並べ替えがしやすいようにしている点も、地味だが継続の助けになっていると感じている。
検討して却下した案を記録する理由
設計メモの中でも、私が特に重視しているのが「却下した案とその理由」の記録だ。採用された案だけを記録していても、後任者は「なぜ他の案ではなくこの案になったのか」を理解できない。むしろ却下案の情報がないと、後任者が過去に検討済みの案を再び持ち出し、同じ議論を繰り返してしまうことがある。
私が担当したある架台設計では、当初はボルト締結による組み立て式の構造を検討していたが、現場での組み立て工数が課題となり、最終的に溶接構造に変更した経緯があった。この判断の背景をメモに残しておいたことで、後任の設計者が類似案件でボルト締結案を再検討しようとした際に、過去の経緯を踏まえたうえで別の観点から議論を進めることができた。もしこの記録がなければ、同じ検討を一からやり直し、同じ結論にたどり着くまでに無駄な時間を費やしていたはずだ。
却下案の記録がないことによる弊害は、時間の浪費だけにとどまらない。私が経験した別の案件では、過去に安全上の理由で却下された構造案を、その経緯を知らない設計者が再び採用してしまい、試作段階で同じ安全上の懸念が再発したことがあった。幸い量産前に発覚したため大事には至らなかったが、もし却下理由が記録され共有されていれば、そもそも同じ案が候補に上がることすらなかったはずだ。この一件以来、私は却下案の記録を単なる備忘録ではなく、安全上のリスク管理の一環としても位置づけるようになった。
却下案の記録は、一見すると無駄な作業に見えるかもしれない。しかし、組織としての知見を蓄積するという観点では、採用案よりもむしろ価値が高い情報だと私は考えている。
私は却下案を記録する際、単に「この案は不採用」と書くだけでなく、どの条件が満たされれば再検討する余地があるのかまで書き添えるようにしている。たとえば加工設備の制約で却下した案であれば、「設備が更新されれば再検討可能」といった一文を残しておく。こうしておくことで、後任者は却下案を完全に切り捨てるのではなく、状況が変われば再評価すべき選択肢として扱えるようになる。単なる記録ではなく、将来の判断材料として活きる書き方を意識している。
サプライヤーとのやり取りの経緯を残す
図面や仕様書だけでは伝わらないもう一つの情報が、サプライヤーとのやり取りの経緯だ。特注部品や特殊加工を依頼する際には、サプライヤー側から技術的な制約についての説明を受けることが多く、これが設計に反映されているケースは少なくない。
私が担当した精密機構部品の案件では、サプライヤーから「この形状は現有設備では加工できないが、別の形状であれば対応可能」という提案を受け、それに基づいて形状を修正した経緯があった。この経緯をメモに残していなかったら、後任者は修正後の形状だけを見て「なぜこんな不自然な形にしたのか」と疑問に思ったはずだ。実際、別の案件でこうした背景情報が残っていなかったために、後任者が良かれと思って形状を「シンプルに戻した」結果、再び加工不可能な形状に戻ってしまうという失敗が起きたことがある。
サプライヤー側の設備事情は、こちらから積極的に聞き出さなければ表に出てこない情報であることも多い。私は新しいサプライヤーと取引を始める際には、可能な限り工場を見学させてもらい、保有設備や得意な加工領域を自分の目で確認するようにしている。この際に得た情報も設計メモに書き残しておくことで、次にそのサプライヤーに発注する際、あるいは後任者が発注先を選定する際の判断材料として活用できる。サプライヤーとの関係性そのものも、属人化させずに記録として残す価値があると考えている。
この経験から、私はサプライヤーとの重要なやり取りについては、メールのやり取りだけに頼らず、要点を設計メモに転記しておくようにしている。メールは埋もれやすく、後から探し出すのに時間がかかるが、設計メモに集約しておけば案件の経緯を一目で追える。
電話や対面での打ち合わせで決まった内容は特に記録漏れが起きやすいため、私は打ち合わせ直後にその場でスマートフォンにメモを取り、帰社してから設計メモへ清書するという二段階の流れを徹底している。口頭でのやり取りは記憶に頼ると細部が曖昧になりやすく、後になって「言った、言わない」の水掛け論に発展することもある。サプライヤーとの技術的なやり取りを正確に記録しておくことは、後任者のためだけでなく、自分自身をトラブルから守る意味でも重要だと感じている。
引き継ぎで実際に役立った事例
設計メモが実際に役立った具体的な事例を紹介したい。私が長期の案件を途中で他の設計者に引き継ぐことになった際、通常であれば数週間かかる引き継ぎ作業を、設計メモのおかげで数日に短縮できたことがある。後任者は図面だけでなく設計メモを読み込むことで、検討の背景や却下案の理由まで把握でき、私への質問はごく限られたものに留まった。
逆に、私自身が他人の案件を引き継いだ際に、設計メモが一切残っていなかったケースもあった。このときは、図面から読み取れる情報だけを頼りに、なぜその仕様になったのかを一つ一つ推測しながら作業を進めるしかなく、結果的に前任者に何度も問い合わせる必要が生じた。すでに他部署へ異動していた前任者の時間を何度も奪うことになり、双方にとって非効率だったと感じている。
さらに厄介だったのは、前任者への問い合わせがすぐに返ってくるとは限らないという点だった。相手も新しい業務で多忙な中、過去の案件についての質問に丁寧に答える余裕は少ない。返信を待つ間、設計作業がストップしてしまうこともあり、スケジュール全体への影響も無視できなかった。この経験から、引き継ぎ資料の有無は単なる情報共有の問題ではなく、プロジェクト全体の進行速度を左右する要素なのだと痛感した。
この2つの経験を比較すると、設計メモの有無が引き継ぎの効率に与える影響の大きさは明らかだった。それ以来、私は自分の案件については必ずメモを残す一方で、他人の案件を引き継ぐ際にも、メモがない場合は自分なりに整理したメモを新たに作成し、次の引き継ぎに備えるようにしている。
引き継ぎの質は、引き継ぐ側だけでなく引き継がれる側の姿勢にも左右されると私は考えている。私は他人の案件を引き継ぐ際、図面や部品表を読み込むだけでなく、設計メモが残っていればそれを時系列に沿って読み、疑問点を洗い出してから前任者に質問するようにしている。断片的に質問を重ねるよりも、経緯を把握したうえでまとめて質問したほうが、前任者の負担も少なく、結果的に引き継ぎ全体の質が上がると実感している。
メモを書く習慣を継続するための工夫
設計メモの重要性は理解していても、日々の業務に追われる中で継続するのは簡単ではない。私が習慣化するために実践しているのは、大きな意思決定があったその日のうちに、5分だけでもメモを書く時間を確保するというルールだ。時間が経ってから振り返って書こうとすると、細かい経緯を忘れてしまい、結局は簡略化された記録しか残せなくなる。
また、私は週の終わりに必ずその週の設計メモを見返す時間を設けている。この振り返りの際に、書き漏らしていた検討事項がないかを確認し、記憶が新しいうちに補記するようにしている。この習慣を続けることで、メモの抜け漏れを最小限に抑えられている。
完璧なメモを目指さないことも継続のコツだと感じている。文章の体裁を整えることに時間をかけるよりも、箇条書きで要点だけでも残すほうが、結果的に継続しやすい。私は「後任者が読んで理解できる最低限の情報」を基準にメモを書くようにしており、これによって心理的なハードルを下げている。
もう一つ効果的だったのは、メモを書くことを自分だけのルールにせず、上司にもその存在を共有しておくことだ。上司が設計メモの存在を知っていれば、進捗報告の際に「メモは更新されているか」と確認してもらえるようになり、自分一人の意志だけに頼らずに習慣を維持できる。個人の努力だけで継続しようとすると忙しさに負けてしまいがちだが、周囲を巻き込むことで習慣化の成功率は格段に上がると感じている。
案件が立て込んでいる時期は、どうしてもメモを書く時間を後回しにしたくなる。そうした時期こそ、私は一日の終わりに5分だけ時間を確保することを最優先事項として扱うようにしている。忙しいときほど記憶が上書きされやすく、あとでまとめて書こうとしても細部が抜け落ちてしまう。むしろ忙しい時期に発生した判断ほど、後になって「なぜあの時そう決めたのか」を思い出せなくなるリスクが高いため、優先して記録する価値があると考えている。
メモが引き継ぎ以外にも役立つ場面
設計メモは引き継ぎの場面だけでなく、自分自身の仕事にも役立っている。数ヶ月後に類似の案件を担当した際、過去のメモを見返すことで、同じ検討を一から行う手間を省けることが多い。人間の記憶は思っている以上に曖昧で、自分が過去にどんな理由でその判断をしたのかを、記録なしに正確に思い出すことは難しい。
また、客先や上司から設計変更の理由を問われた際にも、設計メモが根拠資料として役立つ。私は過去に、量産開始後しばらく経ってから客先から「なぜこの仕様にしたのか」と問い合わせを受けたことがあったが、設計メモを見返すことで、当時の検討経緯を正確に説明することができた。記憶だけを頼りに答えていたら、あいまいな回答になっていたかもしれない。
トラブル対応の場面でも、設計メモは力を発揮する。不具合が発生した際、原因究明の第一歩は「その部位がなぜその仕様になっているか」を把握することから始まる。設計メモに検討経緯が残っていれば、原因の切り分けを迅速に進められるが、記録がなければ、まず仕様決定の背景を推測するところから始めなければならず、初動が大きく遅れてしまう。トラブル対応のスピードという観点からも、日頃の記録の積み重ねが効いてくると実感している。
設計メモを残す習慣は、地道で目立たない作業だが、後任者だけでなく未来の自分自身を助けるものでもある。20年近くこの仕事を続けてきた中で、図面という結果だけでなく、そこに至る過程を記録し続けることの価値を、私は年々強く感じるようになっている。
複数の客先を渡り歩く外部設計者という立場は、社内の人間関係の蓄積だけに頼ることができない分、記録という形で自分の仕事の痕跡を残すことがより重要になる。次にどんな現場に配属されることになっても、過去の設計メモを見返せば、その時々の自分自身の判断の軸を思い出せる。これは後任者のためだけでなく、変化の多い働き方を続ける自分自身にとっての備忘録でもあると、私は考えている。地味で目立たない習慣ではあるが、続けた年数だけ確実に自分の財産として積み上がっていく実感がある。



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